ル ドメンヌ

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Aubert de Vilaine & Henry-Frédéric Roch – Domaine de la Romanée-Conti

 初めて「ル ドメンヌ」(人はDRCをこう呼ぶ)を訪れたのは、1998年にモンラッシェの撮影でオベール ドゥ ヴィレンヌ氏に会った時だった。そして二度目は2001年1月。ニースのロマネ・コンティの卸元メゾン ベッシの若旦那ローランたちと一緒に、総員八名で訪れた。ル ドメンヌは、基本的にこの人数で訪問することになっているという。ちょうどボトルを一本開けられる数だ。

 到着すると、早速ベルナール ノブレ氏が奇麗に管理された蔵を案内してくれ、樽(99年)からの試飲の後、蔵の奥にあるカヴォー(試飲所)に通される。そこでまず、リシュブルグ98年が開けられた。次にグラン エシェゾー90年、ロマネ サン・ヴィヴァン87年、ロマネ コンティ75年、リシュブルグ64年と続く。

 そしていよいよモンラッシェ。ル ドメンヌに到着した時、モンラッシェの撮影ですでに顔見知りだったシュヴァリエール氏が、「ケイコ&マイカ用のデザートを忘れずに」と、笑顔でベルナールに声をかけてくれていた。そのモンラッシェがグラスに注がれ、口の中でワインを転がす音が響き、「ウーン」とか「ハァァ」と皆が呟く。その時、ケイコがベルナールを見つめながらポツリと言った。

「これ、納得できない…。」

 皆が唖然として振り返る。ブッショネでもなんでもない74年のボトルだ。が、半べその彼女を前に、ベルナールは大いに焦りまくっていた。

「えぇぇ、ダメなのかぁぁぁ。」

「…、ダメ…。」

 その瞬間、ベルナールは「ちょっと待ってて」と、別室にすっ飛んで行った。後はご想像の通りである。カヴォーの中で「うわぁっー」と歓声が上がり、ケイコは皆からキス攻めにされていた。鶴(にしては立っ端が足りない?)の一声で、普通なら出ないもう一本(98年)が出てきたのである。

 この写真は三度目に訪れた、ある暑い夏の昼下がりのもの。それまでヴィレンヌ氏しか知らなかった私たちの前に、アンリ・フレデリック ロックが現れた。なんか桁違いな人との出逢いだった。仕事で取材するハンド・ボールの試合を間違え、後で選手の名前だけ入れ替え原稿を出したとか、大型バイクで高速を飛ばし続け、シャツがビリビリに破けたとか、本当に真か嘘か分からない、超普通でない人だった。

 実は、この恰好いいアンリの写真にも、もろもろアンリのある秘密が隠されている。でも、あえて内緒!私たちのアンリとの良い思い出のために。急に先立たれ、本当に寂しいです。