浄化 – Purification

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Sergio Arcuri – Cirò Marina

 話は遡ること10数年、ある秋の夕暮れ時。

 …。この前と同じだ。目の前のボトルが半分残っている。シャサーニュ・モンラッシェ レ カユレ 1999は綺麗に熟成し、手に入れた時より状態は良くなっているはずなのに、二人で一本を飲めずにいる。しかも、これで続けて二度目だ。つい数日前もそうだった。夕食後、ラ シャトニエール(サン・トーバン・プルミエール・クリュ)1999も、結局、半分残った。

 どうしたのだろう。前回は旅疲れのせいにしたけれど、今回はそんなことはない。それじゃ何故、こんなことになるのだろう。今までにはなかったこと。あれほど恋い焦がれたブルーニュのシャルドネイなのに、どうして?

 もったいないなぁ。飲む?うーん、いや、ちょっと無理。飲めない。どうしよう…。

 ここ半年、VELIERのTriple Aの造り手を撮りに、ヨーロッパ中を旅していた。その間、外食で体調を崩さぬよう、休足のために家では一切ワインを飲まずにいた。ただそれだけ、他には何も変えていない。勿論、訪問先では造り手たちと一緒に飲んでいたけど。当然、彼らのワインをね、自然派の。それが違いと言えば、唯一の違い…。

 えっ、もしかして自然派のせい?で、慣例農法ワインが飲めなくなった?ということ。つまり、それって体内浄化?体が洒掃されたわけ?!それで、頭じゃなく体が飲むのを拒絶しているだ。すっごーい!

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