ソムリエ・バッジのシェフ Cantonese 楓林

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 長いヨーロッパ生活の中で、私は10年ほどパリに住んでいた。正確には、そのほとんどをパリから15mのところで、そして最後の3年を13区の中華街のすぐ横で、暮らした。13区に住んでいる時は、時間が不規則なコーディネイトの仕事のせいで、朝6時から真夜中過ぎまで開いている中華街が、とても重宝した。そして本場から来た人たち(と言っても華僑が多い)の同胞のために作る料理が美味しかった。

 たまに日本へ戻ると、よく母と中華を食べに行った。母が中華が好きだったからだ。しばしばホテルや銀座のお気に入りの有名店に、連れられて行ったものだ。が、何を食べたか、今はうろ覚え。どんな高級な店の料理も、さして美味しいと思ったことはなかった。

 それに比べ、パリの中華街の味はよく覚えている。美味しいし、早いし、安い。当時の私には、全てを兼ね備えた料理だった。もっとも、パリは10年も住めばもう十分な街。一度離れてからは、滅多にパリを訪れることはないが、行けば必ず中華街に足を運ぶ。これが私にとっての中華だ。

 さて昨年の高松CHAVALS来西の折、Cantonese 楓林の関幸志さんは、残念ながら来られなかった。だから、ここ高松が初対面となる。と言っても、すでに一緒に大岡さんの所へ行っていた。それで、ヘア・スタイルに凝ったニヒルな関さんは、飲むのが好きな人だと分かっている。だからお店には「あれ」を携え、意気揚々に入ったが、「あら、ない。」目の前に広がるお洒落な空間には、(中華=)赤いテーブルが一つもなく、私の偏見、先入観は見事に打ち砕かれた。それどころか、なんとじょかーれ(GIOCARE)同様、カウンター席があるではないか!「うわっ、カウンター中華。やるじゃん、高松CHAVALS!最高だ。」

 実際に座ってみると、とりあえず厨房側と仕切るために色々なものが置かれていて、ちょっと邪魔(失礼!)な気もする。が、それでも桜の蕾や壺等の合間から、関さんの作業が垣間見え、楽しい。あの馬鹿でかい中華包丁が図体に似合わず華麗に舞い、丸い中華鍋が大きく踊るのに、ついつい見とれてしまう。ただ一つ可笑しいのが、関さんの左胸で輝くソムリエ・バッジ。何故料理人が、と思うけど、まぁいいや、ここは日本、見逃そう。

 次の瞬間、左のグラス棚に「Catherine Weinbach」のサインを見つけた。へえ、ヴァインバッハのカトゥリーヌも、楓林に来たんだ。ドメンヌを訪れたのはもう10年以上も前になる。あの後、お母さんと妹さんが亡くなられ、近隣にあった成城アルザス校も消えてしまった。過ぎ去ったものに思いを巡らせていると、前菜の一品目が出てきた。

 真蛸と山菜の葱生姜ソース。美味しい。くどくない。今までの中華のイメージから一転、はみ出る料理だ。次の中華の定番「クラゲ(とズワイガニの和え物)」も同じ。母が好きだったクラゲの料理とは趣が異なり、酒が進む。持参した「あれ」と共に持ってきた寺田本家の「しぼったまんま」が合う。このままだと「あれ」の出番はあるのかなぁ、と疑いたくなるような、繊細な味付けだ。

 でも、無用の心配だった。次に出たよだれ鶏は、思い出すとよだれが出る、と言う由来から名付けられた逸品。その後のオリーブ豚のチャーシュウも、甘くて美味しい(ここまでが前菜)。さすがに二品とも前の二品よりはガッチリした味付けで、「これならば」と、寺田本家の醍醐の雫カメ壺五年熟成を取り出す。料理の上品な味わいが和製紹興酒に「いけまっせー」と、思いきや、関さんが満を持して本場の紹興酒を出してきた。「これ、飲んでみて。」

 お言葉に甘えて一口頂くと、あっ、美味しい。さすがソムリエの関さんが選ぶ紹興酒だ。飲んでいて、シーンと静寂が漂ってくる。それではもう一度、寺田本家の和製紹興酒を…。「うわぁー、やたら元気がいい。」さて、どう表現しようか、この違い。まず、両方とも美味しい。ただ、前者は紹興酒を知り尽くした人がこれぞとばかりに造ったお酒、静かな自信に満ち溢れている。対して後者は、「なっちゃった紹興酒」の自然のパワーが思う存分前面に出ている。どちらが好きかは、その人次第。こんなところか。

 肉を食さない相方は、ザーサイ豆腐を頂き、そのままあさりの蒸しスープへ。私には、白菜の蒸しスープ(オリーブ豚+オリーブ鶏)が出てきた。熱々で、しかも出汁のきいた和風のお吸い物のような感覚のスープは、喉越し良く、快感だ。どちらも4時間も蒸して調理した、手の込んだ品だけのことはある。この一品だけでも十分満足できそうだ。

 そのスープをすする私たちの目の前で、後ろ姿の関さんが中華鍋を勢いよく返しながら、何やら炒めている。そして振り向き様に、大きな貝殻にササッと盛りつけた。タイラギ貝とアスパラガスの塩炒だ。これはもう、「食はまず目で楽しむ」という域を通り越し「圧倒する」ものになっている。それでも味はあくまで上品で、ただ油の分、紹興酒が似合うが、決してくどくない。そして次のゲタ(舌平目)上海式醤油煮で、味が塩から醤油に切り替わり、一味しまると同時に醤油の心地よさがたまらない。

 ここでちょっと箸休めの、菜の花とまんばと春菊のニンニク炒め。そして最後に、関さん慢心の作、天然アコウ(キジハタ)の姿蒸しが登場(フィッシュソースと、何故かここだけ英語なのが気になるが、どうでもいいか)!最高に豪華な締めだ。

 さあ、私の中華とは全く違う、日本で初めて気を惹くこの料理、一体どう表すれば良いだろう。中華懐石ではありふれているし、そもそも違う気がする。これだけ新鮮な素材(クラゲと蟹以外は殆ど香川、瀬戸内産)に凝る中華も、そうはないだろう。この際、CantoneseでなくCulinaire 楓林としちゃおうか。それでは最後の自家製杏仁豆腐、頂きます!