一生一代の衝撃、寿司中川

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 小豆島を後に、さぁ、高松入りだ。高松と言えば、言わずと知れた寿司中川。もう何年になるだろう。ずいぶん前に、金毘羅山の麓にある酒蔵「悦び凱陣」を訪れた際、「美味い寿司屋があるから」と蔵元の丸尾忠興さんに連れられて来たのが、最初だった。その日丸尾さんは酒の仕込みの最中で、「中川さん、後はよろしく!」と私たちをおいてすぐに帰られた。今でも忘れられない出来事が起こったのは、その後だ。

 先客がいるカウンターにつきボンヤリ眺めていると、中川大将がなにやらこしらえている。「ああ、軍艦巻きか。それにしても大層豪勢なウニの盛方だなぁ。」すると突然、大将がウニの板を手にとり、逆さにひっくり返し残りのウニを軍艦の上に全部ぶっかけた。「うわぁー、誰だ。こんなもの頼むのは」と辺りを見回していると、「はい、お待ちどうさん」と、いきなりその軍艦が私たちの前に突き出され、「ヒェー!」と本気でぶっ飛んだ。

 我が人生、寿司屋でこれ以上の衝撃の出逢いなし。

 断固断言する。以来、岡山(備前焼)方向へ来れば、そのままマリンライナーに乗って高松へ、と何度か通うようになった。もう、私の中では次郎も水谷もない。寿司なら中川の中川大将、そして築地(豊洲は行かない)の大和の入野大将と決まった。

 当時の中川さんは、一品一酒(酒の種類を変えたり燗の温度を変えたり)を信条に、一品毎に異なる悦び凱陣を振るまってくれた。その中川流の組み合わせの微妙な相性が素晴らしく、わざわざ足を運ぶ甲斐が十分にあった。そして、それを支える膨大な悦び凱陣の在庫(蔵元曰く「うちより持っている)」には、つくづく呆れたものだった。

 ただ、その中川さんが変わった。2011年に初めてジョージアを訪れ以来、しばし日本から足が遠のいていた私たちに、一昨年、中川さんから電話があった。驚きと懐かしさで話していると、「えっ、嘘」、あの中川さんが自然派ワインに凝っている、と言う。以後話がとんとん拍子に進み、昨年、中川さんが高松のお仲間五人を引き連れてスペインにやって来た。久々の再会だ。そして今回、私たちが「食餌行脚」の名目(連れの弁)で彼らのお店を訪れることに。

 久し振りの寿司中川は、中に入ると「あら、綺麗!」、改築されている。以前のL字カウンターではなくまっすぐ伸びるカウンター、これで全員が大将の顔を正面から拝める。こちらを向いた大将の間接照明のお陰か、明るくも目に優しい光が心地よい(失礼!)。

 席に着くと、早速出ました。えっ、でもこれ、何?フグ?「瀬戸内の小さなフグやけん。」「Ach so(ドイツ語も同じ意)ア、ソウ、納得です。」続いて白子にかんずり(そう言えば、中川で大トロの炙りにかんずり+ジョージアのギオルギのフヴァンチカラが最高だと輸入業者連が言っていた)やら瀬戸内の幸の盛り合わせのお造りやら、中川さんの豪快さは健在で、食べ応えあり。

 そして握りへ。ああ、出た~!懐かしの中川のシャリ。初めて来た時、ついつい聞いてしまった。「なんでこのシャリ、茶色っぽいの。」「ヘヘヘ、ここ香川は和三盆、白下糖の本場でっせー。」なーるほど。実はそれ以後、我が家の寿司飯も茶色く(入れすぎにご注意)なっている。

 

 瀬戸内の新鮮なネタで握る中川さんの寿司は、相変わらず申し分ない。ただここで問題が一つ。ご無沙汰している間に進化したのは、中川さんだけじゃない。自慢じゃないが、私たちもまた、自然派ワインから素肌のワイン(かめ壺ワイン)へと格上げ。でもカウンターの上には、昔同様悦び凱陣が並んでいる。さーて、どうしよう。

 隣の連れは、鼻っから素っ気ない顔でこちらも見ず。あらあら、それじゃ私がと、二、三酒試してみたものの、このまま行くにはやはりちょっと辛い。そこで、申し訳ないけど寺田本家のかめ壺五年熟成醍醐の雫を、ということになった。そこでそれを一口口にした中川さん、「おっ、旨い。紹興酒やな。」そして次にいきなり「おーい、ちょっとこれを燗して。」

 出た、さすが燗の中川だ。私たちが考えなかったことを、やってくれちゃった。それが旨いのです。実は私、本来ワインよりも日本酒好き。でも現実は厳しく、家付き酵母で醸したと言われる酒もなかなかしっくりこなくて、飲めるものが殆どない。あーあ、私の最高の夢は、本当に旨い日本酒を取っ替え引っ替え、中川で連チャンで腹一杯寿司を喰うことなのに~!どうしてくれる、日本の蔵元のみなさん、なんとかして下さいよ。酒だって、時の流れを止めずに、変わらぬ夢を流れに求められますから。だから、美味しい飯米でかめ壺仕込みのお酒を造って!そのために今、私たちがこうしてここにいるのかもしれない。どう、思います、大将?