ラルーの前で

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「うちはまず赤から、白は最後に試飲して頂きます。あなた、もう赤は試されましたか。」

と、自らワインを注ぐマダム ルロワをよく試飲会場で目にする。素直に彼女の言葉に従えばいいのに、中にはいるんですよね、彼女の言葉を無視して先に白を要求するへそ曲がりの阿保が。勿論、注いではもらえるけど、その後で赤などと言おうものなら、

「うちは赤からと言ったでしょう。欲しければ、会場を一周してから出直して来なさい。」

 そこで初めて彼女の言葉に従っても、もう手遅れ。会場を一回りするまで、ルロワのワインが残っているわけがない。なにしろ、マダム ルロワがグラスに注ぐ量は彼女同様寛大で、それを沢山の人が待っているのだから。

 2011年、ルネッサンス デ アペラシオン試飲会場でだった。「あら珍しい。ミシェル ベタンヌ(仏の著名評論家)が自然派の会場にいるなんて」と思いきや、マダム ルロワと物議を醸していた彼が、次の瞬間、「あっ。」グラスのワインを吐き壷に捨てた。

 本来なら目くじらを立てる程、マダム ルロワが嫌がることだ。が、ベタンヌの前で、見て見ぬ振りをし黙っている。しかもベタンヌは次のワインを大目に要求し、グラスを一振り、二振り、香りを確かめるように鼻元へ近づけると、そのまままたグラスのワインを吐き壷に捨てた。無言…、じゃすまされない。

「随分、敬意の無いことをしますね。」

 私が口火を切ると、ベタンヌは「えっ」と、ポカンとしている。

「口も付けずにワインを捨てたでしょう。あなたには、敬意というものがないのですか。」

 ようやく事の次第が分かったベタンヌは、

「そんなことを言っても、私は仕事なんだ。」

「いや、仕事とかそういう問題じゃない。造り手に対する敬意の話ですよ。」

 そこでマダム ルロワが、とりあえず、

「いいの、いいの。かまわないから。」

と、割って入るが、小さくウィンクしてくる。「私は一日中、仕事でワインを試飲しているんだ。こうでもしなければ、死んじまうよ。それとも死ねって言うのかい。」

と、言いながら、ベタンヌは私のプレスカードを食い入るように覗き込んでいる。ははぁ、上からの圧力で、私を潰す気でいるんですか。面白いじゃん。やってみい。

「名誉の戦死、プロなら本望でしょうが。」

 このままケツ下がりの車の運転手で終わるなんて、みすぼらしすぎる。