ビオトープ

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Didier Barral – Domaine Léon Barral

 ブルゴーニュ以外の赤ワインで私たちを最初に魅了したのは、ドメンヌ レオン バラルのヴァロニエールだった。理由など全く分からないが、あのどうしようもない不完全の中の完璧さに、私たちは仰天した。それ故、ラングドックで私たちがまず最初にディディエの処を訪れたのは、至極自然なことだった。

 到着早々、ディディエは私たちを畑に連れ出した。初めてのラングドックの畑を歩きながら、ブルゴーニュの畑に慣れた目には、ディディエのゴブレの畑は荒れ果ているようにすら見える。が、とにかく土が柔らかい(後年来日したディディエは、東京は路面が固くて膝に負担がかかり痛いと漏らしていた)。その頃はまだ、自然派の観念などなく、色々とディディエに笑われたものだ。彼は、

「有機だって。そんなの新しい言葉じゃないか。俺のところは、昔ながらの農法をやっているだけだ。春先、葡萄が芽吹く前に家畜を畑に入れ、雑草を食べてもらい、肥料となる糞をしてもらう。この良い循環でビオトープが形成され、良い葡萄が穫れる。ほら、この下を見てごらん。色んな生き物がいるから。」

と、乾いた牛糞をひっくり返した。すると、沢山のミミズやヤスデが動き回っている。ああ、本当だ、生きている。命が輝いている。

 そうやって畑の中をを歩き回っている時だ。高台からヒョイと駆け下りたディディエに、迂闊にも軽い気持ちで私は続いた。が、「ひぇ、止まれない」と下の道を横断、そのまま先の小川を「うわっ」と飛び越えることに。そして着地したはずが「グキッ」という音とともに、私はその場に倒れ込んだ。ディディエが何事かと呆気に取られていたが、左足首捻挫、全治3か月の大怪我だった。

 それでも蔵に戻り、晩年の土門拳の如く、椅子に座りディディエを撮影。後々、この一連の騒動が、ディディたちとの語りぐさとなった。それにしても、おお恥ずかしい。きっとあの時、ビオトープの宿るあの柔らかな土壌での私の醜態を見て、蟻やミミズなど多くの生き物たちが、草むらの陰で大笑いしていたに違いない。