首吊り(吟醸酒)行者

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故三盃幸一大杜氏(能登杜氏) 満寿泉 桝田酒造

 私たちは、実際にTriple Aと関わりを持つまでに、二つの異なる道程を歩んでいた。まずは、「モンラシェ、モンラッシェ」と喚く私たちに嫌気がさしたのか、日本の友人が「他にも旨いものがある」と飲ませてくれた満寿泉のせいで吟醸酒の虜になり、結果、押掛女房的に蔵見を決行、そこで偶然知り合った山形の番紅花の山川さんに感化され、「首吊り」行者の旅へ。多くの蔵元を訪ねるのと同時に、2001年、南仏とブルゴーニュで初の日本酒試飲会を開くこととなった。

 当時は、桝田酒造に泊まり込み、蔵人と寝起きや食を共にし撮影。三盃幸一大杜氏と共に、将来アラブの王様にこのお酒を飲まそうと、夢見ていた。こんなに凄いものなら、是非世界に広めたい、そういう気持で一杯だった。ただ、日本の蔵元の海外出張は、日本酒普及という名目で堂々と外国へ遊びに行くのが目的、と聞かされた時、心が折れてしまった。2004年の研修会後、すぐのことだった。

 今日、インターナショナル・ワイン・チャレンジSAKE部門で何某などと身内で騒ぎ、皆を煽り立てようとしているが、よくよく見れば日本酒鑑評会がロンドンへ移動したようなもの。これこそ日本の蔵元の海外出張。全くの笑い種だ。私だって、あの当時はそれなりに真剣に取り組んだし、今でも個人的にはワイン以上に日本の自然酒が好きだ。が、「いわゆる」日本酒が真のワインと肩を並べる水準になったなどと、間違っても思わないでもらいたい。厚顔無恥も甚だしい。

 この日本酒でのちょっとした道草の間に、別の道が現れた。リーデル・グラスと共にヨーロッパの有名どころの生産者を撮影する企画だ。元々、日本酒の試飲会でリーデルの大吟醸グラスを使用したのがご縁で持ち上がった話だが、折しも「Le Montrachet」刊行後、出版社や共著のソムリエとのゴタゴタで、ブルゴーニュに愛想をつかし出していた私たちにとって、これが古巣から飛び出す絶好の機会となったことは間違いない。