モンラッシェを知らない?…

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 写真展に遅れたのは、ドゥニとフィリップだけではなかった。シャルル ボンヌフォワがやって来た時のことは、一生忘れられない。

 シャルルはシャサーニュの葡萄栽培家で、マルキ ラギッシュ(ドゥルーアン)のモンラッシェの畑を請負で管理していた。毎日自転車で畑に出て来て、手仕事でコツコツ手入れをしていく。ある時、そんな彼が言った。

「昔はきつい仕事、例えば葡萄の幹や根を引き抜く仕事なんかを終えた後なんかに、みんなでそこの畑のワインを一本空けたものだ。でも最近は、そんな習慣もなくなったよ。」

 彼は会場にも自転車でやって来た。そして、

「写真展と試飲会をやっているって聞いたんだけど…。」

と、静かな笑みを浮かべながら、控え目に言った。でもその言葉は私たちにとって予想外の、あまりにも困惑するものだった。なにしろ彼が来たのは、開会式の翌日だったのだ。

「…。そうか、昨日だったのか。」

 そう言って会場を一周すると、彼は静かにその場を去った。今まで長年重いものを背負い続けた肩をガックリと落とし…。そんな彼の後ろ姿をなす術もなくただ見送るのは、堪え難いものだった。

 モンラッシェは確かに希少なワインだ。あまりにも数が少ない。それ故、手にできる人は本当に限られている。それにしても、実際に現場で働く人が全くモンラッシェを知らないなんて、想像のできないことだった。

「飲んだことがないけど、モンラッシェって本当に旨いのか。」

と、ブシャール ペール エ フィスの畑を管理していた栽培家も言っていた。信じられるか?一年中手入れをしている畑のワインの味を知らないなんて。年に一度、彼らの労をねぎらうために一本のボトルを分かち合うことに、なんの不利益になるのだろう。

 人は「ワインは分かち合うもの」と言う。確かに、一人で飲むより誰かと飲んだ方が楽しいし、想い出に残る。でも、金持ちのワイン愛好等がこぞってワインを持ち寄り飲み比べているのを見ると、どこか違うような気がする。感謝を感じないんだ。もし、ワインが金のために造られ、金で買われるだけのものなら、飲むのも忍びない…。

 モンラッシェに出逢い、ブルゴーニュに通い始めて二年。この写真展で、とりあえず探し求めていた答は見つかった。が、同時に、新たな疑心暗鬼の始まりともなった。